Live8に行ってきた ラスト
今回のLive8は電通キャスティング アンド エンタテインメントが事務局になり企画制作を行ったようですが、急拵えのイヴェントだったとしても、彼らは仕事の捌いていて自分達の力不足は感じなかったのでしょうか。
幕張メッセの裏口。写真を撮っていたら、この後人が出てきたので慌てて立ち去った。
やはり行ってみてお客もみっちり入ってるわけではなく、ドリカムの時でさえ前の方に行かなければ余裕でダンスぐらいできそうな余地がありました。キャスティングもGood CharlotteにドリカムにBjorkにDef Techと全くまとまりがなく、ある程度の幅が必要とはいえ、かなり混乱した印象を受けました。みんな誰かを目当てに観に行ったんでしょうが、こんなに違うと会場の雰囲気もノリもばらばらでライヴのあり方として単純によくなかったと思います。
商売っ気たっぷりなイヴェントだという批判も出ていますが、それが正当かはわかりませんが、見ていて共感できないイヴェントだったのは確かです。
音楽面から見て、こういうイヴェントにこのキャスティングでなければいけない確固たる理由が見当たらなく、このフェスティバルの事例は計らずも音楽ビジネスの奇妙さを浮き彫りにしてしまったところはあります。今の日本と海外のロックやポップスの売れ筋を何も考えずピックアップしてしまうということはいかに危険なのか、と思いました。
北島康介だの中田英寿だのセレブにホワイトバンドを付けさせたり、アフリカの子供が「親が死んだ」って言いながら泣いているところを撮影したクリップをパフォーマンスが始まるまでの間に見せてましたが、請け負った側は急いでそういう映像を用意するんじゃなくて、まず音楽そのものとアフリカの現在のことに焦点を当ててほしかったです。コンサートに行って、ついでみたいな感じでも音楽だけじゃなくてアフリカの現状についても理解を深められたら、「ああいいイヴェントだったな~」と思いながら帰りの電車に乗れたと思います。
全然そういうのがなかったですからね。漠然とかわいそうなアフリカを救おう、だけで。このイヴェントに参加した人たちにはコンサートに行きたいというのが最初にあって、少なくともあと1週間という段階であのビジュアルはさほど意味がなかったと思います。
会場でDokakaとはぐれてしまって、京葉線に乗って一人で東京駅に着いた時、周りの若い人達がたくさんホワイトバンドをつけていたのに気付きました。物販の方では、Tシャツだのホワイトバンドぐらいしか売ってるものがなかったので、アフリカの実態がわかる資料を売ったら、きっと良かったでしょう。
観客側の貧困問題を理解するキャパシティはある。
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