ipodに私的録音補償金 音楽関係7団体が要望
速やかに「iPod課金」を――音楽関係7団体が強く要望
>>ITmedia ライフスタイル
iPodなどに価格の1.5%程度の私的録音補償金を課す考えだそうです。
私的録音補償金の分配方法って自分の気に入ったアーティスト以外にもお金が流れていくのが気になるんですよ。売れ筋のアーティストのところに多くお金が流れるべきだ、って考えがあるみたいじゃないですか。逆に音楽市場での競争に不公平な影響を与えると思います。
経済の空洞化が進んで、これからの日本は超ヤバイ!!依然とした音楽界の慣習的な横並び意識、そして均質化に叛旗を揚げろ!
速やかに「iPod課金」を――音楽関係7団体が強く要望
今回は2年ぶりアルバムになるのでこの作品に込める思いは格別で、SMAPのいろんな面(=サンプル)を聴いてもらっちゃおう、なんでもやっちゃおう、というノリが「SAMPLE BANG!」というタイトルに込められています。この曲をネットで試聴できないか一応探しましたが、どこにもサンプルはなかったですが。
「SAMPLEバン」「KAIZOKUバン」「HIGH!バン」の3台のSMAPバンが渋谷の街を巡回したそうです。最初のSAMPLEバンはともかく他の2つはなんですか。意味がわかりません。巡回中は何か配ったんでしょうか。サンプルCDなんかは無理でもせめて餅ぐらい配ったことを願いましょう。
前回の記事は@nifty:デイリーポータルZのブログ更新ジェネレーターを使って創ったものです。
July 27, 2005
数えてみたら更新したのがちょうど先週の今日。あっというまですねー。
…こうやって年をとってゆくのでしょうか。
去年の暮れから盛り上がっているハバロフクステクノシーンの重鎮「赤い鋼鉄」の新譜をゲットしましたー。本当はほかにやらなきゃいけないことがたくさんあるのですが。ついつい誘惑に負けてしまい…。弱い生き物です。
私って見かけによらずついつい考えすぎてしまうので。しかもたいていは悪い方向にばかり。
お風呂はいるのでこの辺りで。オイオイ。
↑今日のランチ
ちょっと更新滞っていますが、今週半ばから本格復帰いたすのでお待ちを。
浅草芸能大賞を受賞し、浅草サンバカーニバルへの参加も要請されている松平健(東京ドーム公演では浅草サンバカーニバル優勝チーム、バルバロスと共演してました)。
ホワイトバンドがブーム、って本当ですか?町を歩けば、着けてる人を見かけますか?うちの地元(八戸)にはそんな人いませんが、都会の方では盛り上がってるのかい、ホワイトバンド。君達もチャリティに興味があるのかな?
雅楽について情報を集めようと、Amazonで資料に当りをつけるためひたすら検索していた時のこと
暑くてネタもないので、個人的なことを書いてみます。といってもシリアスな話。求職についてです。
・雨宿りをする猫4匹に「ハロー」と手を上げて挨拶。「君達も、将棋に興味があるのかい?」
LIVE 8 JAPAN
カニ座、カニ座、カニ食べたい。 ・・・。
明日の大江戸線が爆弾で吹っ飛びませんように。
そういえば明日は七夕。先週巣鴨駅だったか西巣鴨駅から地下鉄に乗ったときに、駅の通路に笹と短冊が置かれていて自分の願い事を書いて付けられるようになってたんで、
Bjorkに会えますように
国内盤レビュー
今週もわけあって、週末東京に行きます。先週末は結構都内でいろいろなイヴェントがあったようなんですが、Live8ばかり頭にあって他がすっかり抜けてしまっていました。あれも行けばよかった、これも行けばよかった~と帰ってきてから悶えまくってます。初夏はイヴェントの季節なのかもしれないですね。
今回のLive8は電通キャスティング アンド エンタテインメントが事務局になり企画制作を行ったようですが、急拵えのイヴェントだったとしても、彼らは仕事の捌いていて自分達の力不足は感じなかったのでしょうか。
幕張メッセの裏口。写真を撮っていたら、この後人が出てきたので慌てて立ち去った。
Live8は普通の音楽フェスティバルと違い、チャリティや貧困問題の啓蒙や政治的なメッセージを音楽の世界から届けるといった目標があり、そのために世界8地域で同じにこういったイヴェントが行われたこと、芸能界やスポーツ界などの有名人がそれに賛同して参加したことなどは非常にポジティヴに捉えられるとは思います。
Welcome to Dokaka.com!
今度こそは大転送量にたえられるサーバーを用意致しましたこれは本当です。ある大学の方が研究用に使っているスペースを提供してくれたんですよ。日本でも有数のしっかりしたサーバーであるはずなので、ここも落とせたらDokakaは伝説になれます、いや既に伝説になってるのだが。
Live8行って来ました。小額ながら募金して、抽選で当たったチケットで行ってきましたが、実は当初報道として行こうかという計画もありました。